072「殺生の自覚」

「善い」戦争なんて無い。そりゃ平和のうちに暮らしたい。

「人命は尊ぶべき」と言われるのは、その内容の真偽はともかく、じじつ尊ばれていないからだろう。
自国の利益のために他国を攻撃する(とうぜん人も死ぬ)。この事態を見ても、人命がいとも簡単に優先順位の下方に追いやられているかを示しているわけで。

心の出来ていない自分とて、見知らぬ他人の死に泣けなくても、一緒に暮らしていた犬の死に涙してしまう。恋人や妻子がいたとすれば、その安全を守る為に他人を見殺しにしてしまうかも知れない。或いは危害を加えようとする者を先に殴ってしまうかも知れない。

さて、その人情と、戦争への志向と、程度の差はあれ、まったく別だと果たして言い切れるだろうか。

振り返ってみよう。
「生きる」とは、そもそも、他の生命を直接・間接に喰う事ではないだろうか。
「生存競争」という言葉に端的に象徴されるように、生存はそれ自体「争い」を宿命づけられている。

ただ、たまたま言語を持ち、思考や理性を所有しうる我々人間は、その事実をどうしたらいいのか。

他の生命を喰って生きている事実を、居直らず、自覚するほかは、ないんじゃないか。
淡々と書き加えられる歴史はさほど多くを教えてはくれまい。いま、自分が考え、知るしかないんじゃないか。

それで現在の戦争が丸く収まりはしないけれども、

あの大統領や、あの大統領や、あの将軍や、あの首相や、あの指導者だけでなく、
世界の大多数の人間がそれを自覚すれば、

人は滅びる前に、もっと平和に暮らすようになれるかも知れない。

前へ 夢甲羅TOP 次へ